|||||暮らし|||||




4月30日

パソコン復旧。というか新調。ネットには復帰。昨年7月に作業空間のデスク&チェアー化を図って以来の積年の夢であったデスクトップパソコン。サザンダ先生の多大なる尽力を得ながら部品を購入、組み立て、作動と相成なった。ありがとうございました。PCの名前を勝也にしそうな勢いでそこはかとなく感謝しております。しないけど。

それにしても、10万円でモニターが液晶な静音PCが出来上がってしまった。しかもモニターは少しいいやつを買ったのでとても快適。快適というよりはすがすがしい。とにかくいい。身体感覚と一番多く交流を持つモニター、キーボード、マウス、そして本体の奏でる音は大事にしないと駄目だとつくづく思った。作業環境が随分と違ってくるはずなのだ。このモニターは明るく表示もくっきりとしているし、キーボードは少し大きいけどキーの跳ね返りがたまらなくいいし、マウスは普通で、本体は電源が入っているのか心配なほど静かだ。

以前のノート型パソコンは、1年半しか使ってないのにモニターのバックライトがつかなくなってしまった。修理には3週間と3万円が必要だと言う。SHARPを買うことはもうないだろう。SHARPの商品全般が悪いということは決して無いだろうけれど、このようなことがあると僕の中での思い出が悪くなるのだ。でも、完全に壊れてしまって修理が必要になった瞬間というのは、なんてこったと思う反面、新しいパソコンを買うきっかけになるのでその嬉しさがほぼ同時に湧く。家計的につらくても必要経費ならいたし方がないのだ。無いと困る必要なものだから買わないわけにはいかないのだ。そう強く思い込める程度に、パソコンは僕の生活にむっしりと根をはってしまっているみたいだ。ぼちぼち学費も支払わないといけないけど、なんとかなるん、かなぁ。まぁなんとかなるしするだろう。

とりあえず当面、前のパソコンに入ってるデータのバックアップというか、新しいパソコンにデータを移す作業がとにかく面倒で、もうとにかく面倒だけどしないわけにはいかなくて、本当に面倒だ。家計簿もたんまりたまってるし。仕事見つけないといかんし。4月も終わるわけだ。

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4月15日

今日もバイト。エレベーターがどうしても面白い。とは言っても、あるシチュエーションに限られるのであるが、今日もまんまとそれに遭遇することと相成った。

ビルディングは中ほどの階でエレベーターを待っていると、チーンという音とともに扉が開く。すると1.5m四方に10人弱ものおっさんが詰まっているという光景が目に飛び込んでくるのだ。そこにわれわれ2人がさらに乗り込むのは明らかに無謀であるから、「あっ」という感じになって、しめやかにその扉は閉じられる。その扉が閉じられきるまでの間、吹き出しそうになるのを我慢しなければならない。これは明らかに確実に我慢する必要があるから、そのことが余計に増長させたりもするのだ。僕は「チーン」という音とともに開いた狭い箱におっさんがぎゅうぎゅうに詰まっていて、それが微妙な感触を残して無言のまま閉じられてゆく様に滑稽さを覚えずにはいられない。

都会には同様の滑稽さがたくさんあるように思うけれど、それはきっと都会に限ったことでもなく、人は常に既に滑稽であるような気がする。そんな風にとりたてて思ってしまう時は、また少し疲れているんだろうという気がする。というよりは、夜の静かな時間に少しでも内省的になると、どうしても日々の疲れがドレッシングの油のようにふつふつと浮いてこざるを得ないのかもしれない。

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4月14日

眠い。めずらしく電車で行ったバイトの帰り、眠気を全身に抱えながら本を読みふけっていた。乗り換えるべき駅で電車を降り、向かいのホームに滑り込んできた電車に乗り込む。電車が幾分か走ってから気が付いたことは、ただ向かいのホームに滑り込んできたという理由だけで電車に乗り込んでしまうのはあまりに短絡的で危険が大きいということだった。そしてそれは今までに何度かの経験を通して知っていたはずの事実だった。そう思ったときには電車は最寄の駅をすでに快調に通り過ぎてしまっていたけれど、そんなこと思おうが思おうまいが、その勇み足の電車は僕の最寄の駅にはほとんど目もくれなかっただろう。12時も近い時間だったので、戻りの電車があるのかと多少ドキドキしたが、よくよく耳を傾けてみると、何だかまんざらでもなさそうな感じだ。積極的に表現するなら、僕は途方に暮れるような場所に多少放り出されたがっているかもしれないと、そう感じられた。

それでもとりあえず引き返そうと、そのせわしない電車が次に関心を示した駅で降りた。降りるやいないや反対方面のホームに電車が滑り込んできた。どこ行きかわからないが、とりあえず慌てふためいて階段を駆け下り、そしてまた駆け上がる。するとその道程で同志に遭遇した。彼もまた乗り間違えて引き返しているようだった。先を譲った彼の俊足のおかげで閉まりかけた電車の扉は開き、僕も乗ることができた。いや、でも本気を出せば僕も負けはしなかったはずだ。でも眠かったし、きちんと帰ることに少し後ろ向きな気持ちもあったし、何より彼と競い合う感じになるのが嫌だったのだ。

ともかく適切な電車に無事乗り込み、そしてまた眠気に襲われながら本を読んでいるうちに最寄の駅に着いていた。今度は、閉まる扉に挟まれそうになりながら飛び降りることになった。ハタと気がついたら電車は最寄の駅で停まっていたのだ。別に何が言いたいわけでもなく、ともかく今日はこんなことがあった。そして今はすこぶる眠い。今日一番不思議だったのは、「撫でる」という字が「手」と「無」のあわせ技になっているということだった。手が無いなのか手で無いなのかわからないが、とにかく「撫でる」なのに手の否定とはこれいかに。と思いきやですよ、漢字の辞典をして言わさしめれば、「無」は「ブ」という音だけのために添えられてるんだとよ。こういうのを夢がないと言うんだ。寝よ寝よ。

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4月10日

あぶぶぶぶ。知らんけどもう何か、ふと気がついたら4月も10日になっていた。ちょっとバタついてただけなのになぁ。多分、「ちょっとバタつく」というのが一番致命的なんだろう。だって日付は確実に進行してしまっているにも関わらず、「ちょっと」としか感じていないのだから。それにしてもしかし、今年の桜はずいぶんとしぶといんじゃないだろうか。

日曜日、早朝から鈍行に2時間半ほど揺られて岡山に帰る。結婚した友人が新居をかまえて、トムが水餃子で云々と呼ばれたのだ。新居と言っても築50年は軽そうな二階建ての古い一軒家で、部屋数が10以上もあって造成された庭や軽い畑まである。なのに家賃が6万円ほどらしい。大阪ではよっぽど考にくい。立地としては市街地にもそこそこ近く良さそうなのだが、何より古い街らしく道がすこぶる狭い。僕がこのことを強調したくなっているのは、向かう途上で狭路を200mもバックする羽目になったからだ。そして再度前進して気がついたことには、対向車がバックしていれば50mほどで片付いていたようだった。端的に理不尽。他にも密かなるドキドキが多数あって、たまにしか運転しないのに勘弁してもらいたかった。

訪ねた日はちょっとやりすぎなんじゃないかと思うくらいに春があまりに春な日だった。家の縁側からは向かいの高校に生える大きな木が見えた。水餃子を他の人に作らせて、その木に茂る大量の葉が風で擦れる音を耳に流し込みながら、春のぬくくて少し涼しい空気の中ひとりゴロゴロとまどろんでいると、何ともまぁ何だ、すごく好きと思ったし、自分にしっくり来る感じがした。つまり、ずっとそうしておいても平気なんじゃないか、むしろそうしておくのが一番いいのではないかと思える感じ。まぁ、良過ぎる季節ではあったし、日本家屋の性として冬の寒さは半端ではないだろうけど、とてもいい家だった。そして水餃子も旨く、談笑も楽しく、こんなにファニーでアメイジングな記憶トトロも見せてもらったし、本当に素晴らしい日曜日になった。謝謝。

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そして、その翌日には朝から大阪に戻り、昼からは東京に向かった。久しぶりに見る富士山は唐突な感じがした。同じような標高の山々に囲まれることなく日本列島で最高峰なわけで、つまり突拍子がないのだ。その存在様態はある朝起きてみると出来ていた巨大な吹き出物に近い。事実、形状も似ている。そしてはじめて面接試験なるものを受けた。思っていたよりは普通にしゃべれる自分がいた。しかしどうも、自己PRというものがどうしても苦手らしいということが如実にわかった。そもそも、あまり自己顕露の激しい方ではないのだ。どう出てますことやら。時間があったし近かったので行った国立近代美術館では青木繁メインの展覧会をしていた。でも僕はそれよりも、数点あった関根正二が良かったかな。ともあれ、芸術は反動的であることがその存在要因のひとつとなっているわけだが、結局、人は、逆を求めることを繰り返し続けるだけなのだろうか。それが止揚されながらであるにしてもだ。そういう感想を覚えた。

帰る日の朝、無駄に早くなるようにセットされていたラジオから流れてくる快晴情報にいてもたってもいられなくなり、二泊させてもらった友人の部屋からそこそこ近い多摩川へと自転車をこいだ。友人の部屋は本当に僕の部屋以上の穴蔵っぷりだったし、「想う会」と「見守る会」とをもめさせることとなった例のアザラシの住む川が近くにあるのだ。行かないわけにはいかない。土手は広く、雲量0の優等生的な快晴で富士山がくっきりと見えた。明朗快活でさわやかなのは、確かに一面的だし妬みや嫉みの対象にもなるのだろうけれど、実際確かに印象がすこぶるいいのだ。まずはそこを認めなければならない。土手に生える草の緑は、妙に新鮮さを感じさせる緑だった。春の緑ということだろう。すがすがしくてとても良かった。

土手に生える桜は、葉と花との割合が2:8くらいになっていた。いわゆる葉桜。黄緑とピンクはとてもよく合う。それは補色だから合うではなくて、合うなぁって思ってて、何か混ぜて黒になる色を整理してたら補色って呼んでも良さそうな色だったってだけの話だ。順番があるとすれば、まずは合うような気がするのであってその逆ではない。とかね、「つべこべ言わずにとりあえずとにかくきれいがってるしきれいがっておけばいいじゃん!」って言うためにつべこべ言ってしまう自分の如何ともしがたさ・・・。つまり、「補色だもんな」って思ってしまっているのが自分自身だということだ。

友人の部屋に戻る途中、桜並木におびき寄せられた。その桜並木がまたすごく、細めの水路の両脇に桜がずらっと、数百メートルにわたって並んでいた。古い並木らしく桜も大きいものが多い。空が桜の支配下にあれば、地面も舞い散った花びらによってまた然りとなっていた。近隣の家もよっぽど桜に侵されていて、車やなんかも花びらにまみれていた。この年に1週間程度しかひらかない花を好んで植えまくる気持ちがどうしてもわかる気がする。

大阪へと向かうバスの中、都会の高速道路は高いところを走っているから街並みを見下ろす具合になるわけだけれど、街のあちらこちらに桜が見える。あんな淡いピンク色のものなんて他にはないし、ぽっこりと浮いているものだから、街に浮かぶピンク色の雲のようにも見えた。きっと春はそこに充満していて、そこから噴き出すことによって街が春めくのだ。桜のあるのとないのでは春の春めき具合がずいぶんと違うはずだ。春は寒かったのがぬくくなる季節。そんな具合にあやかりたいのにあやかれないと、逆にこう、疎外されてる気になってきちゃうね。つまり、春へと疎外されることによって憂鬱がつのってしまう可能性があるということ。

今日は思った。何でもとりあえず、春と若さと噛み合わせのせいにしておけばいい。

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4月3日

ちょっと部屋にこもっている間に、まぁ薄々そうなってるんだろうなぁとは感じていたけれども、桜が節操もなく咲き散らしていた。そして4月頭のキャンパスは一年で一番騒々しい。何かはじまるんかなぁ。新しい環境に身を置くことになる人がたくさんいるんだろう。

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4月1日

あたい、鈍いのかしら。ある日、アパートの前の歩道に止めていた自転車がなくなっていることに気がついた。僕は放置自転車として行政に撤去されてしまったのだろうと思い込んでいたが、どうやらそういうことではなく、盗まれたと考えるのが普通らしい。そう人に言われて、確かにそうかもしれないし、そっちの方が妥当性が高そうだとはじめて思った。だって、近くにあった他の自転車やバイクはなくなっていなかったのだから。いずれにしても、自分のものが自分のあずかり知らないうちになくなっているのというのは感じが悪い。大家がアパートに駐輪場を設けてないのも気に入らない。この部屋にももう丸2年。3度目の春だ。4月の1日に、午後も15時を回ったあたりに目を覚ますというのは、何だろうか、不思議と損した気分になった。元旦的な区切りを享受し損ねた感じ。気を取り直していこう。

自転車がないものだから、近所の用事に不便する。その不便さを痛感しながらイズミヤへ買い物に出かけ、今日は更に、髪を切ってもらいに行った。こざっぱりさせてくれと頼んだら、すごい短さになった。それは一般的にはたいしたことがない短さなのだけど、ずいぶんと長いこと長めの髪のをキープしていた僕としては圧倒的な短さなのだ。このくらいのレングスって高校2年生くらいぶりくらいかも。ということはあれだ、7年ぶり。高校生からもうそんなにも遠ざかっている。7年という数字の遠い感じ。

唐突に時間の話メモ。

時間の表象はそもそも空間表象が混ざることによってのみ成立するのであって、しかもそれは時間にとっての宿命的な存在論的制約である。したがって逆に言えば、時間を「それ自体」としてとらえようすること自体がそもそも一種の倒錯的行為なのだ。 (小林敏明「転倒する時間意識」)

現在使われている時間の尺度は、天体の運行のリズムを分節化したものだ。時間というものが表象されるときにどうしても空間表象が混ざらざるを得ないのは、時間というものが表象されるそもそもにおいて空間的な運動がある、つまり、物体の空間的な変化に対する認知が時間という表象を生むからのような気がする。

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